古小代焼白釉茶碗 [tc10934]
古小代焼白釉茶碗
[tc10934]
販売価格: 98,000円
在庫数 1点
商品詳細
小代焼は、慶長五年(1600年)に国替えとなった細川忠興に従って、豊前上野(ぶぜんあがの)から移った陶工によって開かれた窯です。
忠興は元和六年(1620年)、病気のため三男に家督を譲って隠居し、出家して三斎宗立と名乗りました。
三斎は、寛永九年(1632年)から肥後の八代城に入り隠居生活を送りました。
その際に、三斎に従って八代郡高田郷に移った陶工によって、高田焼が創始されました。
おそらく、細川忠興の御用窯として茶陶を焼いていましたので、この茶碗は上記の期間に焼かれたものではないかと考えられます。
因みに忠興は茶人三斎として千利休に師事し、利休に最も気に入られた弟子で利休七哲の一人に数えられています。
鉄分が多い粗めの陶土で成形した茶碗を緑褐色の釉薬に浸し掛け、さらにその上に藁や笹の灰から採った白釉を浸し掛けしています。
白釉の所々が透けて緑褐色の釉薬が見えることで醸し出すコクのある味わいと、白釉が流れて腰に溜まった景色が、素朴ななかにもダイナミックな味わいを加えています。
現在の小代焼が茶褐色の釉薬を使っているのに対して、これは緑褐色の釉薬を使っている点と、長年に渡って使いこまれたために、釉薬がかかった部分が滑らかでしっとりとしていることから、江戸初期のものと考えられます。
忠興は元和六年(1620年)、病気のため三男に家督を譲って隠居し、出家して三斎宗立と名乗りました。
三斎は、寛永九年(1632年)から肥後の八代城に入り隠居生活を送りました。
その際に、三斎に従って八代郡高田郷に移った陶工によって、高田焼が創始されました。
おそらく、細川忠興の御用窯として茶陶を焼いていましたので、この茶碗は上記の期間に焼かれたものではないかと考えられます。
因みに忠興は茶人三斎として千利休に師事し、利休に最も気に入られた弟子で利休七哲の一人に数えられています。
鉄分が多い粗めの陶土で成形した茶碗を緑褐色の釉薬に浸し掛け、さらにその上に藁や笹の灰から採った白釉を浸し掛けしています。
白釉の所々が透けて緑褐色の釉薬が見えることで醸し出すコクのある味わいと、白釉が流れて腰に溜まった景色が、素朴ななかにもダイナミックな味わいを加えています。
現在の小代焼が茶褐色の釉薬を使っているのに対して、これは緑褐色の釉薬を使っている点と、長年に渡って使いこまれたために、釉薬がかかった部分が滑らかでしっとりとしていることから、江戸初期のものと考えられます。
商品詳細
サイズ | 径11.9cm X 高さ8.0cm |
---|---|
年代 | 江戸初期(慶長五年〜寛永九年) |
状態 | 無キズ |
付属物 | 合せ箱(当店誂え) |
備考 | 口縁の内側に長さ1.8cmのカマキズが1つあります。ムシクイ、ピンホールは時代の味とお考えください。 |